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清津市

清津市(せいしんし)は朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道の道都。朝鮮北部の重要な港湾工業都市である。 推定人口、582,480人(1993年)。

古代には高句麗、渤海の領域だったが、その後、金や元の支配下に入る。高麗末期、鏡城郡に編入された。

李氏朝鮮時代には富居県所属の小漁村に過ぎなかったが、1904年(明治37年)に日露戦争が勃発し、日本軍の兵員や物資の引き揚げ基地として利用された。1908年(明治41年)、日本側の要求によって万国通商港として開港。1910年(明治43年)に清津は「府」に昇格し、清津府(日本語読みで「せいしんふ」)となる。

日本統治下では隣接する羅南(1940年に清津府に併合)に大日本帝国陸軍の第19師団が置かれた。1930年代には、日本製鐵の清津製鉄所が建設されるなどして工業が発達するとともに、いわゆる「北鮮三港」(清津・羅津・雄基)の一つとして、日本海経由で日本内地と満洲とを短絡するための港湾都市として整備が行われた。

日本統治時代の清津港1945年(昭和20年)8月13日、清津をソ連軍(赤軍)が占領し、事実上、朝鮮において最初に日本の統治から離れた都市となった。1960年から1967年、及び1977年から1985年の間、咸鏡北道から分離され直轄市とされたが、1985年以降は再び咸鏡北道に編入され、その道都になっている。1990年代以降の食糧危機の中、餓死者やコッチェビ(浮浪児)が多く発生している。

ウィキペディアの記事: http://ja.wikipedia.org/wiki/清津市
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